インフラ広報 今年は「砂防」が熱い 夜間瀬川直轄砂防施工100周年

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11月18日は「土木の日」。この日の前後には土木技術や土木事業に対する理解増進を目的に、一般向けのイベントが全国各地で開かれる。まさに地域のインフラを再発見する体験だ。県内でもさまざまな催しが行われているが、今年はとくに「砂防」が熱い。

(内田悠斗、松浦純一、竹内美樹)


長野県内には明治期につくられた砂防施設が多く残り、いまなおその機能を果たしている。それらと地域との関わりは、ことのほか深い。10月には松本市の牛伏川階段工で完成100周年記念イベントが行われたが、11月には山ノ内町・中野市の夜間瀬川砂防工事が着工から100周年を迎え、同町・同市のほか国土交通省、県などでつくる実行委員会が8日、記念シンポジウムを開催した。

 

パネルディスカッションでは、パネリストがそれぞれの立場で夜間瀬川の砂防が地域に与えたインパクトを解説。砂防フロンティア整備推進機構技師長の井上公夫氏は「土砂流出の抑制とともに、1932年から始まった流路工整備で夜間瀬川の流域が固定。これによって河川沿いに温泉街が広がった」と紹介した。

 

夜間瀬川の砂防工事は1906年に横湯川で始まったが、1910年の土砂災害で空石積の砂防えん堤や排水路工が流出し中断。再開を求める住民が長野県知事に直談判したことを受け、1918年に内務省(当時)が直轄砂防工事を開始し1933年まで直轄施工が行われた。

 

国土交通省砂防部長の栗原淳一氏は「1932年の失業対策が転機。当時は不況で地方が困窮し、雇用を目的に政府が各地で砂防工事を行った」と指摘。これによって安全性が向上したため県議会議員がこぞって赤木正雄氏(=農学博士・政治家)のもとへ赴き、砂防の協会をつくりたいと直訴したことから「砂防の組織が各地でつくられていった」と話した。

 

穂波温泉あぶらや燈千女将の湯本純子氏は「夜間瀬川の堤防沿いには毎年桜が咲くが、その桜に治水と失業対策の歴史があることを先代から聞いたときは驚いた」と回想。現在は旅館を訪れる観光客に自身が砂防の歴史を説明していると述べた。

 

これらの発言を受けて県建設部砂防課長の田下昌志氏は「砂防事業は今後観光を支えていく」と方向性を示唆。栗原氏も「災害発生時の観光地の風評被害が問題になっている。観光地における砂防のあり方を考えていかなければならない」とした。

 

一方、県立歴史館専門主事の畔上不二男氏は「災害のモチーフにした地域の昔話は、横湯川の洪水の恐ろしさと水防に命がけで立ち向かった先人たちの姿を現代に伝えている。後世に伝承しないといけない」と強調。山ノ内町町長でシンポジウム実行委員長の竹節義孝氏は「山ノ内町では1950年以降大きな災害は起こっていないが、想定外の災害がいつ起こるかわからない。今日を機に安心・安全の地域づくりに努めていこう」と呼びかけた。

 

同じく11月8日、千曲市の登録有形文化財「荏沢川(いざわがわ)の石えん堤」では、長野高等専門学校環境都市工学科3年生40人が一帯の調査・測量を行った。学生に地域インフラの役割を考える機会を提供しようと、県測量設計業協会(佐藤芳明会長)が技術支援。土木・環境しなの技術センターと県千曲建設事務所が協力した。

 

県内には古い基準で整備された石積みえん堤が174カ所で確認されているが、現地では1884年ころにつくられた石えん堤4基が現存。参加した学生は7班に分かれ、同協会の技術者の指導のもと平板測量や水通し断面の測量、石積みの形状調査などを体験した。

 

生徒たちは「足もとがぬかるんでいて現場は大変だと感じた」(宮嶋太陽さん)「広い現場では指示する声が通らない」(坂本朗仁さん)と口をそろえ、校内の学習との違いにとまどいながらも熱心に作業。「動きまわる現場が大好き。測量業界も将来の選択肢の一つになるかもしれない」(山崎萌々子さん)との声も聞かれた。